2008

02.29

« 実戦的思想は実戦的技術を生むか? »

意外と「実戦派」を名乗り、過激さを表に出している団体ほど、技術がお粗末で力こそ全てだったり、急所攻撃などのダーティーテクニックを売りにしていたりします。
しかし、「実戦」というものが、仮にあるとして、そういったものは、絶対的な強さとは言えません。
フィジカルな力の強さが強さに直結するなら結局、自分以上にそれに優れた相手には通用しないし、急所攻撃などを主軸にするなら、急所のみをカバーすれば良いという簡単な攻略法で、手詰りにされてしまいます。

そうした、相手によって有効だったり、そうでなかったりという不確定なものは、「実戦的」と言えるでしょうか? いざという時に命を託せるでしょうか? それは、開いたり開かなかったりするパラシュートが「実用的」かという問いのようなものだと思います。

宮本武蔵が一度に複数の相手を倒したり、生涯60回以上の立ち合いで勝ちを得てきたというのは、半ば自己申告なので眉唾ですが、それでもやはり、「勝つべくして勝つ」理の上での事と思います。
以前の記事で、気迫とか、覚悟とか、そういったものの重要性を説いていますが、そういうものだけでは勝てない技術もあります。竹やりではどう頑張っても、B29が落ちないように、メカニズムとして、完全に必勝パターン的なものもあるので、やたら「実戦、実戦」と騒いでも、別段、実用性が高くなる訳ではないのです。
そもそも、わざわざ「実戦」と名乗らずとも、武術とは本来、「実戦」以外には使い道がないものなのだから、それを敢えて広言したがるのは、「うちの料理は食べられます」と喧伝している料理屋のようで、そんな事をわざわざ言わなければならない所は、少々、怪しくある気さえします。

技を使うのは人間ですから、その精神が畏縮していれば、充分な効果は当然、得られません。しかし、互いに充実した気力であるなら、勝敗を分けるのは技術の錬磨度です。
技術の裏付けのない精神論は、単なる思い上がり、勘違いと大差ありません。

関係ないけど、先日、「実戦古文トレーニング」という参考書を熱心に読んでいる女学生を電車の中で見ました。清少納言とか、紀貫之とか、自分の書いたものの枕詞に「実戦」とかつけられてたら驚くだろうな、と思いました。
なんか、「実戦」って言葉は軽いんだよな。安いし。

ああ、同じような引っかかりとしては、よく現代で「文武両道」という形容をされる人って、スポーツと勉強が出来る人が多いですよね。
でも、スポーツと「武」って、隔たり過ぎてる気がします。
もともとは、個人ではなく、政治などに関わる言葉だったのかもしれませんが、これって、思想、信条を持ち、それを貫く発言権を得るためには、握りつぶされないために、それを可能にできる武的な力が必要だ、ということだと思うのです。
球技とかそういったものには、そういった働きは望めないし、道がリンクしないから、「両道」じゃなくて、ただ、バラバラに二本、交わらない道があるだけなんじゃないの、ってね。てね。

ありがたいお話トラックバック(0)  コメント(0) 

    2008

02.21

« ドラネコ商会の武器術 »

現在、気が向いた時に当会で指導、研究しているものは、短棒術、剣術、杖術です。
これは、体の使い方の向上にも役に立ちますが、とっさにその辺に落ちているもの等を使う時、この三つで大体、カバーできるからです。

折畳み傘、ビール瓶、丸めた雑誌、バールのようなものなどは短棒術。
傘、角材、ゴルフクラブ、蛍光灯などは剣術。
モップ、竿、ステッキなどは杖術。
そんな感じでしょうか。基本的に、それそのものを持ち歩くのではなく、場にあるものを活用するというダイナマイト刑事方式です。
トンファーもたまにやりますが、これは、鎌や、金槌などに応用が効きます。しかし、ちょっと多機能で便利すぎるので、とっさの護身には不向きかもしれません。

なので、まあ実際には日本刀で戦う機会もないので、別に木刀の刃の部分を握って使おうが、刀身を杖で受けようが問題はないのですが、どうしても心情的にそれは出来ないものです。
『もし、これが真剣であったなら』と思ってしまうのです。

それとちょっと関係するのですが、最近、悩んでいるのは杖術です。
杖はトリッキーな動きと、前後がスライドして自由に使える面白みがあるのですが、どうにも、強度が低い。
一般的な武道具店で4000円級のものだと、全力で打ち合わせた場合、かなり高い確率で折れます。打ち合わせなければ良いのだ、といっても、下手すると人体を打った場合でも折れる可能性があるのです。
また、杖は材質に技術が左右されやすい面があります。滑らかに手の中でスライドしないものだと、使える技術が限定されます。
この、強度と汎用性の問題が今年の課題になりそうな気がします。

考察トラックバック(0)  コメント(0) 

    2008

02.08

« 千葉真一の強さについて »

千葉真一が、どこかの飲食店のおっさんと喧嘩をしたという。
まあ、どうでも良い話だけれど、気になったのはこれである。

『千葉さんも男性に突き飛ばされ転倒し後頭部に軽いけが。』(毎日新聞)

ちょっと調べたところ、最近は身体の衰えを理由に俳優業を引退する発言などをしていたらしいのだけれど、千葉氏は複数の流派の武道を修め、自身も武道団体を主催する武道家である。
武道家には定年も引退も無いので、肉体が衰えてるなら衰えているなりに戦える術を持っていなくてはいけない。

しかし、この記事を見るかぎり、おっさんと千葉氏、勝ったのはおっさんの方である。

おっさんも顎を殴られたという。素人が殴って顎に当てるのは難しいので、その点においては千葉も少しは武道家の片鱗を見せている(武道の思想的には喧嘩自体だめだと思うが)。しかし、おっさんが倒れたという記述は無い。致命打にはなっていなかったというニュアンスだ。

対して、突き飛ばされて転倒、後頭部に怪我というのは、まったくいただけない。
まず、突き飛ばされるのを受け流す、ないし、弾き返すという事が出来なかった。次に、飛ばされた後、着地できなかった。そして、倒れた際に受け身が取れなかった。
これだけで、三箇所もミスを犯している。
もし、平地でそうなったのなら、完全に実力的に駄目である。椅子に座っていて突き飛ばされたとかなら、その状況で相手に仕掛けさせてしまうのは油断と不注意なので、これも論外である。段差にひっかかって転んだのなら、これも地の利を把握していないまま喧嘩を始めたのが不覚と言わざるを得ない。肉体が衰えてきている時こそ、そうしたインサイドワークに気を配らねばならないのだ。

顎を打たれて死ぬ人間はいないが、倒れて後頭部を打てば死ぬこともある。酒が入っていればなおさらだ。どっちが勝ったかと言えば、おっさんの方だろう。

これが藤岡弘だったらどうか、ショー・コスギだったら?
分からないが、意外とショー・コスギは強いと思う。アメリカで長くああいった仕事をしている人間は危機管理意識が強い。
それに昔、テレビで緊急の際の護身術のようなものを披露していたのだが、驚くほど地味な、泥臭い軍隊格闘術のようなものだった。

しかしまあ、アクションスターをまとめて適当な建物に入れて、最後の一人になるまで戦わせた場合、生き残るのはジャッキーチェンだと思う。ジャッキー最強。

正直どうでもいい話題トラックバック(0)  コメント(2) 

    2008

02.01

« ドラネ・クロニクル5 現代編 »

開かれた場作り。それは難航しました。
意外なことに、全くの初心者が集まってきてしまったのです。

そうなると、私は、私の技術を教えるところから始めることになります。
これでは、私自身の強さには繋がらないのではないか。最初はそう思いました。
しかし、「教える」という事は、思いもよらぬ効果をもたらしました。

自分の中で整理せず漫然とやっていた事を、人に伝えようとする事で、新たな発見がいくつもあったのです。
そして、教わる人間は私の真似をする事になるのですが、それによって自分の悪い癖や、欠点を客観的に捉えることができました。

私は、人に教えるという行為に興味を持ちはじめました。
それは、心の底にある不安とも直結していました。
私はそのころ、労働をして金銭を得るという能力が自分には決定的に欠如していることに気付きはじめていました。
年金もろくろく納めていないし、多分、長くは生きられないでしょう。
しかし、自分が生きた証を残したいという気持ちが、自分の武術を世に残す事に集約されていったのだと思います。

そして、教える中で教えられ、幾度かの別れや出会いがあり、ドラネコ商会は現在のような形になっていったのでした。
あれ? なんか最後あっさりと終わってしまった。

8.gif

ドラネコ年代記トラックバック(0)  コメント(2) 

 |TOP