2008

09.19

« チラシの裏的な雑感 »

昨日の稽古で、一個、どうしても上手くいかない技があった。
どうして上手くいかなかったのかは、今は何となく分かったが、やはり相手の状態に左右されてかかったり、かからない技というのは良くない。といっても、誰にでも絶対かかる万能な技というのも幻想なのだけれど、今回のは、程度問題として自分に納得のいかないラインだった。改善せねば。
前に、「時々開いたり開かなかったりするパラシュートに命は預けられない」とか、ビッグマウスをビートしてしまったしネ!

もともと、同種である人間同士の殺傷方法に血道をあげている時点で、武術家というのはどこかしら頭のネジがゆるんでいます。しかもそんな事が上手だからといって社会では全く役にも立たないし、評価されない訳です。しかし、だからこそ、狂ってるなら狂ってるなりに筋を通さないといけないと思うのです。
「全く役に立たないし、狂ってるけど、確かに技は凄い人だ」なら、まだ矜持として納得できますが、その技すら駄目となると、狂人界、狂壇でも二流、三流狂人になってしまいます。どうせ狂うなら一流でなくては。
……とか、書いてしまいましたが、しかし、長く稽古が続いている人はむしろ、皆さん、常識人で礼儀正しいですね。稽古後に感想やお礼のメールを欠かさない人や、お中元、お歳暮まで送って下さる人とか。あ、催促じゃないですよ。決して催促はしてませんとも、ええ。僕、お肉が食べたいな。

逆に、この狂人の目から見てすら、お前本当に社会人か!? と思うほど、非常識なメールや応対をする人もいて、そういう人は大体、問い合わせに答えても無返信とか、当日キャンセル後、バックレとか、そして、その後、よその会宛の間違いメールを送りつけて来たから「宛先間違ってますよ」と返信したらこれも無視とか。いきなりタメ口とか、いろいろあり得ない感じで驚かされます。
これだけ、うちはお客さん気分で来られても困りますよ、遊びじゃないですよ、礼儀を知らない人には教えませんよ、と書いていてもそういう問い合わせがあるって、本当に日本の識字率は先進国の水準を満たしているのか謎です。

とはいえ、組手は勿論の事ながら、型でさえ、折れる寸前までは極めるし、変な角度で落ちれば一生、植物人間になるかもしれないような投げ技とかもある訳で、それをやるのも、やられるのも、信頼関係があってこそなので、変な人には来ないでもらうのが何よりではあるのですが。あからさまにナメ切った態度の人には、相応の目にあって帰ってもらってますしね。

明日から三日間、良識人代表の、福島のTさんが泊まりにきて、集中稽古します。そして25日には、合気、柔道、空手、拳法と様々な武道に長け、博識で知られるハルカさんがくる予定。今月は楽しみが目白押しだぜ!

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    2007

11.24

« 武術の倫理学 »

どうして人を殺してはいけないの?

とかいう類いの話が一時、ブームになってましたね。
まあ、これは設問がちょっとおかしいので、あんまり答える意味のないものですが、強いて答えるなら、「世の中にはむしろ、刺し違えてでも殺さなきゃいけない人間もいるんだぜ。ボウズ!」というところでしょう。ブラックエンジェルス的にな!

死刑制度や警官の拳銃携帯、正当防衛の解釈などを見ても、「人を殺してはいけない」なんて話はなく、場合によっては殺しても良い、むしろ殺すべき場合もある訳です。
物騒な話なので、「マア!野蛮!私、そんな事考えたくありませんわ!」とか思し召すマダムなどもいらっしゃるでしょうが、殺す事、生きる事というのは生活の根源であり、それに向き合わずに、毛皮をまとい、肉を食べ、自然を破壊したりと、甘い汁だけ吸って無自覚な加害者でありつづけるような感受性の鈍さ、自己中心的傲慢こそが野蛮なのは今さら言うまでもないでしょう。C.Wニコルの胸毛でも煎じて飲んでろ!
もっとも、そういうマダム系の人はそもそも、こんな文章は読んでねえか。そうか。

で、武術を修練するという事ですが、これは潜在的に加害者になりうる事を肯定するという事です。
襲われても、無抵抗で死のうと思っている人には武術は必要ないわけで、武術を学ぶという選択は、殺されるくらいなら、殺す側に立ちますよ、という表明です。
まあ、もう少し理解と技術が深まっていけば、「たとえ、相手が自分を殺そうとしていても、自分は相手を殺さずにすませたい。そうできるだけの強さが欲しい」という考えに行き着くでしょうが、週ニ、三回、数時間の道場稽古をしているだけでは、その理想を体現できる強さは多分、一生身に付かないと思って良いです。私も、軽く切羽詰まったら目くらいは突きます。多分。
だから、常に自分が学んでいる技術が人を殺傷する技術である事を忘れないほうが良いでしょう。

どういう訳か現代の法では、殺意が無いのに殺したり、心神が喪失した状態で殺したりしているほうが罪が軽くなったりしており、「気がついたら殺していた」とか、「首を絞めてナイフを刺しただけ。死ぬとは思ってなかった」とか、ふざけた言い分がまかり通っています。
しかし、人倫の道から言えば、「悩みに悩んで熟慮したが、殺す以外に選択肢がなく、やむなく殺した」というほうが、圧倒的に正しいし、まっとうに罪を背負っているのは確かです。だけれど、これだと「犯行は計画的で、殺意も判断能力もあった」から刑罰は重くなるようです。
しかし、ドラネコ十訓にもあるように、もし、やむを得ず、武術を使わざるを得ない時が訪れたとしたら、無我夢中でつい殺してしまった、とかではなく、きちんと己の意志で行動していただきたい。
武術においての倫理とは、殺人の否定ではなく、それに対する思考の停止の否定です。

正直、こんな事はわざわざ書くまでもないレベルの話なのですが、現在のこの国は、暴力や死が満ちあふれている割に、隠蔽され、考えることを放棄するように操作されている観があり、書きました。
それが、マスメディアや教育の傾向にとどまらず、もっとも根源的に人の生や死を取り扱う武術の世界ですら、その問題から目を背け、カルチャースクール的なものや、スピリチュアルだ、ヒーリングだ、骨格の歪みを直す整体だ気功だ、スポーツの動きの質を変える身体操作だと、枝葉の部分ばかりを強調し本質をぼかしたようなものばかりが流行、消費され、何も後に残らないような状況に危機感があります。

カルチャースクール?
お稽古事感覚で人を殺傷する技を習いに行ってるんじゃねえ!お前は快楽殺人者か!
スピリチュアル?
生きるか死ぬかのところで突き詰めてやってない人間が魂がどうこう言えんのか!
ヒーリング?
本当の痛みを知らずに癒しもへったくれもあるか!お前に必要なのは戦いだ!
骨格の歪み?
歪んでいるのは、無自覚に人を傷つける技を学んでいるような精神だろ!
身体操作?
武術が何なのか、基本も知らない最初から、別の事に応用することだけ考えてんじゃねえ!

これくらいの事を誰かが言っても良いと思うんですよ。今こそね。
武術家は、宗教者とか、医師とかと同じで、人間の一番根源である、生と死についての専門家だから、師だの先生だのと呼ばれているんで、その分野に関しては、倫理、思想などにおいても、宗教者、医師なみに高い水準が求められるはずですから。

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