5、6、7月の交流会 おしらせ(続報随時) 

とりいそぎ、決定している日程、時間をお知らせします。
内容等、追加情報があればお知らせします。会費は基本2000円です。


5月27日 (日) 15:45〜17:45 
CMBスポーツセンター

 全日本空手道尚誠館 寺島清恭

◆三戦実戦理論 −

「解きと結びとの原理」を用いて解釈した、型「三戦」の解裁と分解技法を紹介、指導。
「三戦」は単なる普及や鍛錬を目的とした型ではなく、そのまま実戦で通用する実用本位の型である。かつて「三戦に始まり、三戦に終わる」とまで云われた、剛柔流の妙味を再現。

 シラット 中込昇

◆ナイフディフェンス&オフェンス(仮)


------------------------------------

6月16日 (土) 13:00〜15:00
CMBスポーツセンター

 国際護身武術連盟『剣』 黒木博文
 
 白桃会 佐山史織


------------------------------------

7月22日(日) 15:45〜17:45
CMBスポーツセンター

 日本武当道教功夫学院(WIMA) フランソワ・デュボワ
 
 護身空手木村塾 木村潤

今後の方針 

先の記事で多方面にいろいろご心配をおかけしたことで、いろんな方からメッセージやメールをいただいた。また、生徒ともこの問題については話した。どれも貴重な意見で考えさせられた。
それを受けての現時点での考えを整理して書いてみたいと思う。

彼女は「いつでも来ていいと言ってほしかった」「でももう来るなと言われた」という風に私の言葉を受け取った。私は、むしろ慰留を試みてるつもりであったのにどうしてそう伝わるのか分からなかった。しかし、今になって考えてみると、彼女の受け取り方のほうが正確だったかもしれない。

やはり私の会は仲良しクラブではないし、楽しいから来る、という性質のものではない。楽しいのはおまけであって、それが目的になってしまうのは違うと思う。
同じ志、理念、そこまで大きな話でなくても、最低限、武術そのものに対するリスペクトは共有していなければ、ここに来る意味がない。その気持ちがなくなっている状態の人には、やはり「いつでもいいから来ていい」とは言えない。彼女はそのニュアンスを受け取ったのだろう。「うちで続けるならこういう風にしてください」は「そうできない人はうちに来ないでください」と同義になるからだ。

別の種目の武術をやっていても、いや、武術でなく、料理でも文学でも芸能でもなんでもいいが、その根っこさえつながっていれば同じ道を歩く仲間だと思うし、あるいは一度も直接会ったことがなくても師弟の縁は結べる。
だが、見ている方向が違うなら、どれだけ楽しくても、それは「友達」ではあっても「仲間」ではない。
そして、「楽しい」ということも、稽古の楽しみは、同じ道を歩く仲間が出会えたことで生まれるものだから、「以前は楽しかったが今は稽古に来ても楽しくない」と思うようになるのも当然のことだった。

だからこの別れは必然だったし、別れを先延ばしにして腫れ物をさわるようにして回避し続けたとしても、どちらのためにもならなかった。なので、この件についてはもうそれでいい。

この先、どうすればいいのか、という点においては、生徒の一人がこんなことを言ってくれた。

「私は病人かもしれない。しかし、先生に医者であることは望んでいない。また、私は救われていないかもしれない。しかし先生には宗教者であってほしいとは思わない」と。

そう、私自身、昔はそんな風に自分を定義していた。武術家は困っている人を助けるスーパーヒーローではない。困っている人たちに戦い方を教え、一人ひとりが自助努力できるようにする教師なのだ、と。

救いを求める人も、過ちを犯している人も、それを何とかできるのはその人自身でしかない。生徒たちが去っていった原因のひとつには、私がそれらに対して積極的に介入しようとしすぎたことにもある。治療も救済も、受ける側がそれを望んでいなければありがた迷惑でしかない。

まず、私自身が武術を体現し、指標となりうる存在であること。それが第一で、それを見てそんな風になりたいと思う人がいれば、そのために必要な道筋を示す。そして、そう思われなければ、それは私がお手本に値しない人間なのか、その人がそれとは別のところを目指す人間だから仕方がないのだろう。

武術をひとつの製品とするなら、私はそれを作るのに必要なものは全部並べてみせる。それを組み立てても見せるし、完成したものの使い方も説明する。製法や工程に関する質問にも応じる。
しかし、組み立てるのは生徒本人の自主性にまかせる。間違った作り方をしていていたら指摘するが、それを直すかも本人次第である。
そして、本当にその製品がほしい、作りたいと思う人だけに来てもらう。

これをとりあえずは会の基本方針としてみようと思う。もし、もっとよい答えが出ればまたシフトしていく可能性ももちろんあるけれど。

去っていった弟子の事 

前回の交流会で、二年に渡り白桃会に来ていた一人の生徒さんが去っていった。柔道では国体まで行った経歴をもつ女性だった。(同席した方達にはご心配とご迷惑をかけ、申し訳ありません)

私の方針や指導を理解した上で、それとは別の道を行きたい、というのなら別にそれは人それぞれである。しかし、彼女の場合は、たぶん私が言わんとしていることは何も伝わっていなかったし、今まで教えてきたことや、ブログ、日記で折にふれては繰り返してきたことも、何も伝わっていなかったのだろう。つまりこの二年間は彼女にとっても私にとっても無益だった。


かつて、白桃会を立ち上げる前、私はドラネコ商会という名称で武術の会をもっていた。
私は縦のつながりで自分が先生というポジションに納まってしまうのが権威的で嫌だった。なので、自分を先生とも呼ばせなかったし、あくまで横のつながりにした。金銭も取らなかった。

あるとき、男性会員のひとりに、知り合いの女性を紹介された。彼女も武術をやってみたいという。
私は稽古日をきめ、約束をした。しかし、その女性は当日、面倒くさくなり来なかった。そして私には連絡せず、男性会員にだけ、やはり行かないと伝えていたのだった。その男性会員はそれを私に伝えなかった。
私は、こなかった当人に、「趣味の集まりと言っても組手で怪我をすることもあれば、型でさえも頭を打つこともある。だからきっちりとした信頼関係が作れない人ならば教えることはできない」と言った。当人は軽い気持ちだったのが間違いだったことにすぐ気がつき、謝罪した。
しかし、男性会員は私に、「自分の友達におかしなことを言うのはやめてください」と食って掛かった。私は、おかしなことを言っているのはあなたではないか、なぜ会に人を招くなら、兄弟子として責任を持ち、どういう集まりなのかをちゃんと説明しなかったのか、と聞いた。彼は理解できなかった。彼にとってドラネコ商会は、ただ楽しいだけの集まりであり、自分が兄弟子などというものに当たる意識もなかった。私は面白い人、ダイクマさん(※ハンドルネームです)であって、先生ではなかった。だから突然、同輩だと思っていた人間に師匠面されたと感じたのだ。その男性会員は去っていった。

また、そのあとで一人の男性が入ってきた。彼は柔道経験もあり社会学的に武術を考察したり、武術自体の価値も分かっている、ように見えた。
しかし、彼は強さや戦い方を一面的にしか見れなかった。
女性や障害者や老人は戦う手段をもたない「かわいそうな人」で、保護されるだけの、何もできないものだ、と彼は思っていた。殴り合い以外にも戦いはあるし、力以外にも強さはある。しかしそれは彼の理解の外にあった。

そして、彼の最大の歪みは、自分がそうした弱者ではないと思いたがることだった。自分は差別意識はないと言い張っていたが、自分がそちら側の人間であるといわれれば躍起になって否定した。だが、強弱なんていうのは比較の問題で、ノゲイラやらヒョードルから見れば、私たちを倒すのと小学生や女性を倒すのに大して差などない。基本的に人間は地上最強にでもならないかぎり、弱者の側にいると思ったほうがよいし、誰かの弱さを憐れむような驕りの前に自分の弱さを恥じるべきだと私は思った。
しかし、それを指摘された彼は、いきりたち、自分は弱くもなければ間違ってもいないと主張し、そしてやめていった。やはり、私の言葉を師から弟子に向けて発せられたもの、とは取れなかったのだ。

私はそれまで、武術は金で買えないもの、命を教え、命であがなうものだと考えてきた。貴重だからこそ、金銭に換えられないものだからこそ、無料で教えてきた。その意識は伝わっていると考えてきた。しかし、それは間違いだった。彼らは、ここを楽しい仲良しクラブだと勘違いしてしまった。私が先生であることから逃げたからだ。年上の人間や他流の有段者相手に、真っ向からあなたにはこれが足りない、こうしなさい、と上から言うのに気が引け、甘やかしてきたツケがきたのだった。楽しいダイクマさんと、厳しい師の顔を使い分けること自体が、彼らにはずるく映ったのかもしれない。

本当にその人のため、その人を導き、成長させたいのなら、横のつながりではなく、縦の信頼がなければ、生徒は聞く耳をもたないことを私は知った。

私はドラネコ商会をたたみ、有料の白桃会を立ち上げた。初期には、白桃会の生徒さんとはプライベートでは交際しない。お酒を飲みに行ったりもしない、と決めていたこともあった。しかし、また、私は同じ過ちを犯してしまった。仲良くなれば楽しくなり、そうすればどうしても友達付き合いになり、気安くなる。

彼女は先日こう言っていた。「自分は楽しいから来ていた。今は楽しくないからもう来ない。白桃会のおかげで落ち込んでいた時期を脱したし、それは感謝しているが、今の自分にはほかにやりたいことがある」と。
彼女は治療家でもあったので、私はこう言った。「もし、まだあきらかに治療すべき段階だが、薬が効いて痛みがひいただけの状態の人が退院すると言い出したら、それをあなたは認めるだろうか」と。
彼女は、「そんなのは本人の勝手だし、ビジネスでやっているのだから何も気にしない」と答えた。私もそうなんだろう? という言い方だった。

しかし、誰がたかだか1200円のために自分の体を殴らせ、投げさせるだろうか。あまつさえ、その技術に命を託してもらっても大丈夫か確認するために、私は丹先生とノールールで殴りあいまでしている。その後、ふらふらになりながらも自分の生徒に私は1時間半、きっちり稽古をつけてから帰っている。その場所に彼女もいたはずだった。しかし、そういうことも何も伝わっていなかったのだろう。彼女の中では白桃会は仲良しクラブであり、同時に金銭で割り切れるドライなもの、というものになっていた。
彼女は「私がきめたことにガタガタ口をつっこまれたくない」と言った。師と思っている人間にそんな言葉は出ないだろう。

そうしたことはこれに始まったことではなかった。

1月に太極拳をひたすらぶっつづけでやるという講習会をした時、私は最初の説明で、「体育会系のしごきではないので、運動として捉えたり、順番を追うのに頭を使わないでください。細かいところは間違ってもいいので、自分が太極拳をしているという意識もなく、無心に動きの流れ、理そのものに同化してください」と言った。
この稽古の目標は、その時の精神状態にいつでも切り変れることである。なぜ太極拳がゆっくりしか動かないのに武術として使えるのかは、その意識の状態ならかぎりなく反射に近い反応速度で動けるからだ。余計な思考や動きを省き、本来の人間の性能を引き出すことに意味がある。

しかし、彼女の稽古後の感想は、「運動強度が低いから体が冷えた」「順番を間違って覚えていた部分が直せてよかった」だった。どちらも、そういう視点で捉えるな、と説明したものだった。

そして、先日の交流会である。
私は最初に、「投げるということのアドバンテージは体格差を埋めることです。だが、がっつり組んで力で投げるような技が可能なのは体格もパワーも格下の相手に限る。だから技をかけようという意識を捨ててください。まず観察すること。崩れをみつけること。それに対して小さな崩しを連続して仕掛けていき、結果として技になっているようにしてください」と説明した。
彼女は、やはり、最初にお手本で見せた技の手順をなぞろうとしてしまっていた。相手が崩れているか関係なしに、倒れなかったら頭を押さえつけ、体重をかけて倒そうとしていた。それは、同じ体格、同じ性別の階級の中でしか出来ない戦い方だった。
また、泉水先生の技術で、胸取りの返し技で、ほぼ白桃会と同じ技があった。相手の手の甲を胸につけなければ出来ない技だが、彼女はそれを何度も、力でおさえつけてやろうとした。私や泉水先生が、体をターンして自分の胸を方を押しつければいいのだと説明し、何度も見せたが、そのやり方を理解しなかった。

彼女は何を学びに来たのだろう。
最初は、そういうところを変えたい、と言っていたと思う。そして変えられる部分を変える勇気や、それを見極める知恵がほしいと。
そして私も言い続けてきた。私の教える武術は、自分という器に新しいものを継ぎ足すより先に、まず、何でも入るような大きな器に自分の体と考え方を作り直すのが大事なのだと。新しいことを覚えるのではなく、まずクセをなくすこと、余計なことをしないこと、ニュートラルな精神で相手と向き合うことだと。
しかし、彼女は自分とも、敵とも、指導者とも、向き合うことをしなかった。最後も、目をあわせることもなく視線をそらし続け、一方的に話を打ち切って去っていった。

彼女は、「白桃会の技は何年も修行しないと出来ない」、とかつて言った。交流会の時も、「最近稽古に来ていなかったのだから出来なくなって当たり前だ」、と言った。
これも、どちらもありえない言葉だった。出来ないのは稽古時間のせいではない。意識の問題だ。素直に言われたことを聞き、そのまま動くだけである。力をいれなきゃかからないんじゃないか。体重を浴びせなければと倒れないんじゃないか。そうした思い込みが阻害しているだけだ。

彼女が自分を守る鎧だと思ってガチガチに固めているものは私から見ると狭い牢獄だった。彼女が自分を守る最後の武器だと思って掴んでいる武器は、私から見れば槍ではなく鉄格子だった。
私が提示してきた武術はそこから出るための鍵だったはずだ。しかし、本人がそれを牢獄と感じていなければ無意味だった。

別の生徒に最近、もし遠足に行くとしたら、どういう準備が必要か、を書き出してもらったことがある。経路を調べる。持ち物をそろえる。行き先を決める。そうしたことを彼は書いてくれた。しかし、あたりまえすぎて誰もが見落としている段階のことがある。
それは、まず遠足という言葉の意味を知っている。遠足に行きたいと思う。であり、経路を調べるにも、そこに書かれている文字や言葉の意味が分かる、それを説明されたときに聞く気持ちがある、というのが必要になる。そして、荷物を準備するには、今もっているものを手放す。荷物を持てる状態になっている、が前提となる。

そんなの当たり前じゃないか、書くまでもないと思うかもしれない。では遠足を武術、あるいは強さといった言葉におきかえてみる。
彼女はその言葉が何を意味するものかも分かっていなかった。護身術との違いさえ理解せず、話を混同した。そして、今持っているものを手放さずに、それより大きなものをつかもうとした。

師と弟子、医師と患者、教師と生徒。
どちらも、卒業なり退院なりを決めるのは、本人ではなく、上の立場の者だ。しかし、死んでもいいから勝手に退院するとか、自主退学したいと思う人を縛り付けることは出来ない。だからこれはこれで仕方がない。

私をカリスマ化されたり、依存されるのが嫌だから、絶対に正しい言葉として上から教えを押し付けなかった。しかし、それが自由と放恣を履き違えさせた。
段位や目標を設定すればそれしか目指さなくなり、大事なものを見失うからそういう制度を作らなかった。だが、その人の理解度がどの段階の免許にあたるのか形で示せれば、もっと素直に言うことを聞けるのかもしれなかった。
その人が知っている世界の技に似たものを入り口に興味をもたせ教えてきた。しかし、それが似ているだけに今までのやり方を押し通そうとする癖をとれなかったのかもしれない。本人の意思に無関係にやりたいことではなくやるべきことをやらせればよかったのか。
そもそも技を教える前に、人の話を素直に聞く、ということから教えなければいけなかったのか。

今となっては何が正しいかもよく分からない。ただ、私の中でも人を教えるということ、育てるということに関して、この一件は転機になるのかもしれない。

15回小交流会のおしらせ 

3月25日(日)15:45〜17:45

■講師
 泉水流柔術 泉水章浩先生
 白桃会 佐山史織 


場所 CMBトレーニングセンター
参加費 会員 1500円
    会員外 2000円
時間 15:45〜17:45(内容によって時間延長あり)

泉水先生のテーマは、 『多くの武術やスポーツにも役立つ、インナーマッスルを 主体にしたレッスン方法』です。

私の今回のテーマは、型ではできている投げ技が自由攻防だとうまく出せない、という人のための、型と組手をつなぐ部分の稽古です。どっちかというと手取り足とり教えるというよりは、みなさん自身に主体性をもって考えてもらうものになると思います。

ガラス玉演戯を読む 9(完結) 

この稿は、mixiで書いたものを転載したものです。このページから読み始めてしまった人は、カテゴリ「ガラス玉演戯」からさかのぼって一からお読みください。

クネヒトはガラス玉演戯名人になってまもないころ、過去の名人の残した小冊子を読んだことがありました。そこには次代以降の後継者に向けた、名人の仕事内容に関するアドバイスが書かれていました。

翌年の公式に行うガラス玉演戯の式典のことを早めに考えるように。もし、そういう気分にならなかったり、着想がわいてこなかったら精神集中をして、そうした気分を作るように。そう、その冊子には書いてありました。

当時、気鋭の最年少名人としてデビューしたてだったクネヒトは、そんな気持ちになること自体、ありえないと思いました。しかし、どうもその警告が気になったクネヒトは、いろいろ考えた結果、こう決意しました。もし、次の祝典演戯を考えた場合、喜びのかわりに心配が、誇りのかわりに不安がわくような日がきたら、潔く退職しようと。

ヒュー! かっこいいっ!

自分に置き換えてみるとどうでしょう。もし、武術に携わることが、楽しみや喜びではなく、惰性や義務感になったとしたら? 十年前の私だったらこう言うでしょう。
「そうなったら武術をやめるかって? おいおい、何を言ってるんだい? 武術をやめる、じゃなくて、 命  を  断  つ の間違いだろ」ってね。

ヒュー! かっこいいっ!

で、現在の私が聞かれたらこう答えるでしょう。
「武術は生きること、生活と同じものですから、時にはそれに疲れたり倦んだりすることもあると思いますよ。うん。でも、大事なのはそんなに気負わずに、無理のない範囲で続けていくことなんじゃないかな。にんげんだもの」ってね。

ヒュ…ヒュー! 玉虫色の答弁! 大人ってズルイい!

まあ、そんな感じで、クネヒトは私と違い、壮年にさしかかっても初心を忘れなかったので、すっぱり名人をやめることを決断するのでした。
もともと、クネヒトが奉仕しようと考えていたのは、真理に対してでした。カスターリエンそのものに対してではありません。
多くのカスターリエン人にとってはカスターリエンの真理=普遍的な真理でしたが、クネヒトは、それが幻想であること。カスターリエンの外にも世界があり、そこでは必ずしもカスターリエンの真理が通用するものではないことを知ってしまいました。
クネヒトがはじめ音楽を志し、そこからガラス玉演戯の道に進んだように、さらにもう一段階、別の領域に踏み込む時期が来たのだと考えたのです。

武術の世界でも、剣の技術の終着点が無刀であったように、どこかで価値の逆転が起こります。身を守るために必要なことが、命に執着しない事であったりもします。
私も、かつてある女性に「君は武術をやっていなかったら糞以下だからね」と言われたことがあり、それは半ば呪縛のようなものになっていました。
だから、武術家であるということが、私を私たらしめている第一義だと思っていましたが、今では、それもやっぱり表面的な肩書きでしかないと考えています。何にもとらわれないことが武術の本質であるなら、武術自体に執着しすぎるのもやはり間違いなのです。

さて、クネヒトは自分の印章を返し退団すべく本部に行き、宗団の代表者、本部主席のアレクサンダーを訪ねました。アレクサンダーはかつてクネヒトの瞑想の師でもあり、尊敬できる同僚でもありました。こうした人に別れを告げること。裏切り者、逃走者と見られることはつらいことでした。

また、卑近なたとえを少し使わせてもらいます。

いじめられていた少年が、ケンカに強くなりたいと思ってキックボクシングをはじめたとします。少年はそこで尊敬できる師や、気の合う友人を見つけ、いままでなかった自分の居場所を見つけたと感じます。技術は上達し、試合などでも結果が出せるようになってきました。
しかし、ある時、街でケンカの現場を目撃します。それは髪の毛や服を掴んで相手を引きずり倒し、馬乗りになって殴るような凄惨なものでした。
その夜、布団の中で少年は、突然、自分がなぜキックボクシングをはじめたのかの理由を思い出しました。そして昼間のケンカを思い出します。もし、自分がああなったらどうしただろう。今習っているキックの技術はキックの試合の中では有効だろう。しかし、何も制約のない戦いになったらどうなるだろうか?
次の日、少年は、キックボクシングをやめて総合格闘技をやってみたいと、ジムのコーチに打ち明けました。コーチや仲間は、こういいます。お前はキックの世界から逃げるのか? キックの世界で自分の限界が見えたから、安易に別の世界に行こうとしてるんじゃないのか?

こうした局面は、武術にかぎらず、進路や恋愛などでもよくあると思います。このとき、自分のいた世界にとどまること、元々の自分のやりたかったことをやること、どちらが逃げたことになるのか、どちらが正しいのか、というのは非常に判断が難しいです。どちらにもそれらしい立派な理由はつけられるのです。
もちろん、これも今の私であれば、玉虫色の折衷案で、とりあえずどっちもやってみればいいんじゃね? 無理に二択にする必要もないんじゃね? みたいな感じで考えます。
アレクサンダーも、何も退団しなくても、疲れてるのだったら無期限で休養という形にしてはどうかと言ってくれたのですが、クネヒトは中途半端な覚悟で物を言わない人なので、アレクサンダーに対し、もう宗団には戻らない覚悟であることを告げ、実はあの警告の手紙を送る前から身辺整理をし、自分がいなくなっても宗団の職務が滞らないようにしてきたと告げます。
問答は長きに渡りました。二人の討論は、常に礼節を忘れないものでしたが、激しく、火花の出るようなものでした。

 ――「私は、あなたが否認せざるをえないことをしました。しかし、そうせざるをえないから、そうすることは私の任務であるから、それは私の信じている使命、善意をもって引き受けている使命であるから、そうしたのです。あなたがこれも認めることができないとしたら、私の負けで、あなたにお話したのも、むだだったわけです。」

アレクサンダーが答えます。

 ――「問題はどこまで行っても同じことです。私が信じており、代表しなければならない法則を破る権利を、一個人の意思が、場合によって持つべきだ、ということを認めよと言うのです。しかし、われわれの秩序を信じると同時に、この秩序を突破するあなたの私的な権利をも信じるということは、私にはできません。」

最終的に、クネヒトの退団は認められました。しかし、クネヒトの考えは、最後まで肯定されることはありませんでした。
ここの別れのシーンはいつ読んでも胸が苦しくなります。私もまた、多くの尊敬する人を裏切るような形で、こうした自分の意思を優先させてきました。それを後悔したことはありませんが、自分に正直であるということは、他人に残酷であることも確かです。

 ――「お別れに握手してください、とお願いしたかったのですが、今はそれも諦めました。あなたは私にとって終始ことのほか貴い人でした。きょうのことがあってもそれは変りはありません。ごきげんよう、敬愛する人よ。」

クネヒトがそう呼びかけましたが、アレキサンダーは答えられませんでした。

 ――アレクサンダーはじっと立っていた。いくらかあおざめていた。一瞬、彼は手をあげて、別れていく人の方に差しのばそうとするかのように見えた。彼は、目がうるんでいくのを感じた。そこで頭をさげて、クネヒトのお辞儀にこたえ、立ち去らせた。
 出ていく人がドアをしめてからも、主席は身動きもせず立ち止ったまま、遠のいていく足音に耳を澄ました。

……さて、自由になったクネヒトは、甘やかされて育ってわがまま放題になっていたプリニオの息子、ティトーの個人教師を、俗世における最初の仕事とします。しかし、ここから先は書くことはありません。なぜかというと、ティトーと湖で泳ごうとして、あっさりと、え、何これ? 打ち切り? って感じで、心臓麻痺でぽっくり死んでしまうのです。一応、ティトーがその死に責任を感じ、カスターリエン的な精神世界と、自然なあるがままの世界の良い部分を受け継いだ新しい世代の人間になっていくことをほのめかしていますが、まあ、その辺はどうでもよいところです。

この終わり方は唐突で、読んでいるほうは、これからクネヒトがどういう道を選ぶのか、どうなっていくのかという期待を肩透かしされたようですが、クネヒトの視点で考えてみると、まあ悪い死に方ではないと思います。真理という形のないものを追う以上、ゴールはありません。ならば、どこで力尽き倒れても大差はなく、幸福な一生だったんじゃないでしょうか。
目標の明確な人生は、それを達成した瞬間に虚しくなるか、達成できずに絶望するか、というパターンになりやすいですが、クネヒトはいつ死んでも悔いのないように生きていたので、一見理不尽な終わり方もハッピーエンドだったのだと思います。

長い稿になり、また、ほとんど武術の話ししか書いていなかった気がしますが、読んでいただいた人がいたなら幸いです。ご意見、ご感想もあればよろしくおねがいします。ありがとうございました。