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白桃会行進曲

骨法以来の快挙! 武術団体に今、主題歌が足りない! ということで白桃会のテーマ曲を作りました。
非常に後ろ向きな内容の行進曲に仕上がったと思います。




歌詞


白桃会で武術をやろう
白桃会で武術をやろう
面倒な人間関係は
頼むからよそでやってくれ
ただひたすらに武術だけを
やってくほうが楽しいよ


白桃会で武術をやろう
白桃会で武術をやろう
怪我はしないぞさせないぞ
雑な稽古はやめましょう
強さ自慢がしたいのなら
頼むからよそでやってくれ


白桃会で武術をやろう
白桃会で武術をやろう
やりたいときだけ来ればいい
都度払いだから安心さ
ブログも読むとためになるよ
整体の方もよろしくね


白桃会で武術をやろう
白桃会で武術をやろう
その歌声は高らかに
東に西にこだまする
年季の入った熟練の
技術は誰をもうならせる

白桃会で武術をや・ろ・お~



最近のつぶやきから

◆武術家と武術愛好家◆

武術を10年習い続けている人と、1年習ったあと本当は続けたいのに9年独学するしかない環境に置かれた人だと後者の方が伸びる。伸びるというか、前者の大半は武術愛好家になり、後者は武術家になる。
道場では完成品を見せられ、材料を渡される。つまり通っているだけでは永遠にレベルは変わらない。「どうやったらこの材料があの完成品になるのか?」 は独りの孤独な時間に初めて分かる。


◆先生が教えられること◆

「武術を教える」というのは厳密に言うとちょっと違って武術は教わることなんて出来ず、自分で見つけることしかできない。

先生は

「私はこうやって見つけました」
「この辺に武術があります」
「こうすると見つかります」
「それは武術ではありません」

というだけのキノコ狩りナビゲーターのようなもので、武術を探すのは本人しか出来ない。

なので指導者が生徒の人格を矯正、教導、更生しようとか魂を救済しようとかは考えない方が良い。
武術をやっていれば勝手に変わる人は変わる。指導者が変えるのではなく武術を通して自ら変わることしか出来ない。
それは武術自体が「引かないと開かない扉」や「握っている菓子を手放さないと手が抜けない壷」みたいなものだからで、それに取り組んでいれば「解決策が分る=思考法を変える」だから。

同事不違(同じということは違わないということ)という言葉がある。

答えを出せる時は自分の中に答えがあるとき。
他者から教導されても仮に理屈が分ったとしても自分の中にある答えではないので設問が少し形式を変えたり語順が変わったらもう分らなくなる。
たとえば「柔道選手」ではなく「柔道家」であれば相手が裸形で体にオイルを塗っていたとしても「そんな場合は習っていない」ではなく、どうするのが最適解か自分の中から答えを出せるだろう。

先生の仕事は「場」を自浄作用が循環する水槽のように保つこと。
おそらく「良きカウンセラー」より「良い感じのカウンセリングルームを整えられる人」の方が意義がある。

たとえば金曜の稽古ではガタガタの自分勝手な組手になっていた弟子を屋外で指導した。
夕闇で全部が青くなる色、雨上がりの湿度、それらの統一感に自分が含まれてることを確認させた上で、芝生に指先をつく礼法を見せた。

これは柔術の礼だが、インドのレスリングでも土を掬い胸につける礼がある。「場」に礼を払うことは相対的に自我の肥大から離れることになる。そこでした組手はかなりマシになった。これは新しい何かを教えたのではなく、弟子が集中できる場を「礼」によって作ったということ。


◆奉納演武◆

「奉納演武」は面白いとか面白くないとかでは計れない、ただもう純粋な理がそこにあるだけ、という能や詩のようなものになる。
大半の人は何をやっているのかわからないが、それゆえに「面白いコンテンツを楽しむ」という受動型のものではなく、未知との遭遇、自分の体験として感じる。

 一人の心に灯をともす
 別の一人に欠伸(あくび)をさせる

 堀口大學 「詩 又又又」


◆自由攻防演武◆

攻防が同じループに入ると「観てる人がつまらないのでは」と千日手にならないようにしたくなるが、そこで作為を入れると不自然になって破綻することがある。なるべくしてなるものはしょうがない。しかし手癖でやるのも駄目になる。
矛盾しているように見えるが「変化をつけようとする」のも「手癖でやる」のもベクトルは逆だけど人為操作なので「不自然」ということで同根の問題だろう。
「叱る子育て・ほめる子育て」がケースに関わらず先にどう対応するか結論ありきな時点でおかしいように。


◆主題の変奏◆

手ほどきの技は大体全部、対打撃の技に展開していき、剣技になり、一週回って触れ合気系の技に昇華される。
手ほどきを手をほどくためのものとして認識しているなら、片手、交差、両手の三種類以上は不要、と考えるが、原理の運動モデルの学習体系として捉えられると意味が変わってくる。

たぶんうちの稽古を体験した人は「技が無限にあって覚えられない。いつも違うことをやっている」と思う人と「毎回同じ事をやっている」と思う人の二極化する。受動的な人は技と技がバラバラなものに見えるがそれをつなぐ糸が見えている人にとっては円環の数珠を順繰りにたぐっている、と認知する。

以前、高齢者でも主婦でもクラス分けしないで一律にハードコアな武術を教えるの凄いですね、と言われたことがあるが、時計の針だけ、文字盤だけ、歯車だけを持ち帰っても時間が分らないように武術は複数の要素が絡み合って出来ているので健康運動だけ、術理だけ、強さだけ、活法or殺法だけ、というようなバラ売りは出来ない。

PVつくるよ! つくったよ!

最近、動画制作に凝っていまして、色々な人のPVを作ったりしています。

武術関係ない動画もありますが、リンク先で連続再生されますので、よろしければごらんください。
また、こんなクオリティでいいならPV制作のご依頼を承ります。基本料金8000円です。

うちの場合、ここ最近、けっこう動画を見て来た、という入会者も多いので、けっこう集客を見込めるんじゃないでしょうか。よろしくどうぞ。